日本の食卓で定番の白いクリームシチューは、どのように広まったのでしょうか。洋食としてのシチューの登場、戦後の学校給食、家庭用のシチューの素を分けて歴史をたどります。
明治期:シチューは洋食店や西洋料理の本に登場し始めました。
当時は家庭の日常食というより、まだ特別感のある西洋料理でした。
戦後:学校給食で白いシチューが子どもたちに身近な味になりました。
脱脂粉乳(脂肪分を除いて粉末にした乳製品)などを使った給食メニューを通じて、乳を使った煮込み料理に親しむ機会が増えました。
1966年:家庭用のシチューの素が発売され、手軽に作れる料理へ。
ホワイトソースを一から作らなくても味を整えやすくなり、家庭の定番料理として広がる大きなきっかけになりました。
クリームシチューは日本生まれ?先に結論
「クリームシチュー」という言葉だけを見ると、日本で突然生まれた料理のように感じます。
しかし、肉や野菜を液体で煮込むシチュー自体はヨーロッパに古くからある料理で、ハウス食品(カレーやシチューなどを手がける食品メーカー)も、シチューの発祥には諸説があり、16〜17世紀のフランスが一つの説として挙げられると紹介しています。
一方、日本で現在親しまれている「白くてまろやかなクリームシチュー」は、海外の特定料理をそのままコピーしたものではありません。
日本へ入った洋食のシチューが、学校給食と家庭向け商品を通して、日本の食卓に合わせた形へ定着したと見るのが分かりやすいでしょう。
つまり、「シチューという料理は海外由来」「日本の家庭でおなじみのクリームシチューは日本で独自に広がった」という二段階で考えると、発祥と普及を混同せず整理できます。
日本のシチューはいつ登場した?明治期の洋食から
ハウス食品がまとめたシチュー史によると、日本では明治時代の中ごろから、洋食店のメニューにシチューが登場し始めました。
東京や山形の西洋料理店で「シチュー」「スチウ」といった料理が見られ、明治後期には料理書にもレシピが載るようになります。
ただし、当時のシチューは今の家庭料理とは位置づけが違いました。
洋食そのものがまだ珍しく、材料や調理法も一般家庭へ広く行き渡っていなかったため、シチューは「身近な夕食」ではなく、洋食文化の一つとして入ってきた料理でした。

最初から「白いクリームシチュー」だったわけではない
明治・大正期の「シチュー」には、肉や野菜を煮込んださまざまな形があり、現在の白いクリームシチューだけを指していたわけではありません。
ハウス食品が紹介する古い料理書にも、鶏肉や野菜を使った煮込み、魚のシチューなど複数の例が登場しています。
この点からも、「明治時代に今と同じクリームシチューが完成していた」と考えるより、洋食の煮込み料理が先に伝わり、その後に日本で白いシチューが親しまれていったと見るほうが自然です。
戦後の学校給食で「白いシチュー」が身近になった
日本で白いシチューが広く知られるうえで、大きな役割を果たしたとされるのが戦後の学校給食です。
全国学校給食推進連合会(学校給食の普及や情報提供を行う団体)の年表では、1947年の給食例として脱脂粉乳とトマトシチューが記録されており、戦後の給食で乳製品と汁物が重要な位置を占めていたことが分かります。
日本乳業協会(乳業メーカーなどで構成される業界団体)が公開する食文化研究の講演記録では、牛乳を使った家庭料理の代表としてホワイトシチューを挙げています。
そこでは、戦後の学校給食の副食として白いシチューが頻繁に登場し、子どもたちがその味に食べ慣れていったことが紹介されています。

脱脂粉乳とは?
脱脂粉乳とは、牛乳から脂肪分を取り除き、水分を飛ばして粉末にした乳製品です。
戦後の学校給食では、海外からの支援物資などとして供給され、飲用だけでなく料理にも利用されました。
給食の白いシチューも、現在のレストランで作る濃厚なホワイトソースと同じものとは限りません。
日本乳業協会の講演記録では、脱脂粉乳や小麦粉を使った簡素なシチューも多かったと説明されています。それでも、子どものころに「白くてまろやかな煮込み料理」に親しんだ経験は、その後の家庭料理への広がりに大きく関係しました。
1966年の家庭用ルウが普及を後押しした
学校給食で白いシチューの味が知られても、家庭で同じような料理を作るには手間がかかりました。
小麦粉とバターを炒めてホワイトソースを作り、牛乳でのばして濃度を整える工程は、毎日の夕食としては少しハードルがあります。
そこで大きな転機になったのが1966年です。
ハウス食品の会社沿革には、この年に「クリームシチューミクス」と「ビーフシチューミクス」を発売したことが記録されています。これは、小麦粉や油脂、調味料などを組み合わせた家庭用のシチューの素で、家庭で味を整えやすくした商品でした。

開発の背景にも学校給食の記憶があった
ハウス食品のシチュー史では、家庭用商品を開発した担当者が、昔学校給食で食べた「白いシチュー」を家庭でも作れるようにしたいと考えたことが紹介されています。
さらに、日本の食卓で日常的に登場させるため、「ごはんのおかずになるシチュー」を意識して商品設計したと説明されています。
ここが、日本のクリームシチューの特徴を考えるうえで重要です。
パンと合わせる洋食としてだけでなく、ごはんと一緒に食べても違和感のない味へ寄せたことで、夕食のおかずとして取り入れやすくなりました。
なぜ日本ではごはんに合う家庭料理になった?
日本乳業協会の講演記録では、ホワイトシチューについて「洋食なのにご飯に合う」ことも人気のポイントだったと説明しています。
肉やじゃがいも、にんじん、玉ねぎなど普段の家庭にある材料を使いやすく、一皿で主菜と汁物のような役割を持たせられる点も、家庭料理との相性がよかったと考えられます。
家庭用ルウが普及すると、特別な技術がなくても味ととろみをそろえやすくなりました。
鍋一つで作りやすく、子どもから大人まで食べやすい味に仕上げやすいことも、繰り返し作られる料理になるうえで大きな利点でした。
また、家庭によって鶏肉・豚肉・魚介、じゃがいも・きのこ・コーンなど具材を変えやすいことも、定番化しやすい理由の一つです。
決まった材料をそろえなければ成立しない料理ではなく、家にある食材を組み合わせながら「白いシチューらしい味」にまとめられる柔軟さがありました。
この自由度は、学校給食で覚えた味を家庭ごとに再現するうえでも相性がよかったと考えられます。
同じ「クリームシチュー」でも家ごとに具材や濃さが違うのは、家庭料理として根付いた証拠ともいえるでしょう。
| 広がった要因 | 家庭で便利だった点 |
|---|---|
| 学校給食 | 子どものころから白いシチューの味に親しめた |
| 家庭用ルウ | ホワイトソースを一から作らず味を整えやすくなった |
| 身近な具材 | じゃがいも・にんじん・玉ねぎ・肉などを使いやすい |
| ごはんとの相性 | 洋食でも日本の夕食へ取り入れやすかった |
「日本生まれ」は、発祥より「日本で育った料理」と考えると分かりやすい
シチューそのものを日本発祥とは言えません。
一方で、白いシチューが給食と家庭用ルウを通して日本独自の家庭料理として定着した流れは、日本の食文化の中で発達した特徴といえます。
海外のシチューと日本のクリームシチューは何が違う?
世界には、肉を赤ワインで煮込む料理、トマトを使う煮込み、乳製品を使う白い煮込みなど、多くのシチューがあります。
そのため、「海外のシチューはすべて茶色」「日本だけが白い」と分けることはできません。
日本のクリームシチューで特徴的なのは、学校給食の記憶、家庭用のシチューの素、そしてごはんのおかずとしての定着が一つにつながっていることです。
料理の色だけでなく、「どう普及したか」という文化的な経路に、日本らしさがあります。
同じく海外由来の料理が日本の家庭向けに変化した例として、カレーライスがあります。
日本でカレーが定番になった流れについては、カレーライスはなぜ日本の定番?伝来・普及の歴史で詳しく紹介しています。
関連する疑問:「コロッケはなぜ日本の定番洋食?クロケットから広まった歴史と名前の由来」
クリームシチューの歴史についてよくある疑問
クリームシチューは完全な日本発祥料理ですか?
シチューという煮込み料理自体は海外に古くからあります。一方、日本で定番の白いクリームシチューは、学校給食と家庭用ルウを通して日本の家庭料理として独自に広がりました。
学校給食で最初から今のようなクリームシチューが出ていた?
現在の濃厚な家庭用クリームシチューと同じとは限りません。戦後の給食では脱脂粉乳や小麦粉を使った簡素な白いシチューもあり、まず「白い煮込み料理」に食べ慣れる機会になりました。
家庭用のシチューの素はいつ登場した?
ハウス食品の沿革では、1966年に「クリームシチューミクス」と「ビーフシチューミクス」が発売されています。これが家庭で手軽に作るきっかけの一つになりました。
なぜクリームシチューをごはんと食べるの?
日本では家庭向け商品を開発する段階から「ごはんのおかずになるシチュー」が意識されていました。パンだけでなく普段の夕食へ取り入れやすい味として広がった背景があります。
「ホワイトシチュー」と「クリームシチュー」は違う?
日常では近い意味で使われることが多く、厳密な全国共通の食品区分があるわけではありません。白いソースや乳製品を使ったシチューを指す言い方として、商品名や家庭料理では「クリームシチュー」が広く定着しています。
まとめ|給食の味が家庭の定番へつながった
シチューそのものは海外由来の煮込み料理ですが、日本のクリームシチューはそのまま輸入された一皿ではありません。
明治期の洋食文化を入口に、戦後の学校給食で白いシチューが身近になり、1966年の家庭用シチューの素によって家庭で再現しやすくなりました。
「給食で食べ慣れる → 家庭で作りやすくなる → ごはんのおかずとして定着する」という流れが、日本のクリームシチューを現在の定番料理にした大きなポイントです。
懐かしい給食の味と、日常の家庭料理が一本の歴史でつながっていると考えると、いつもの一皿も少し違って見えてきます。
参考・確認先
- ハウス食品「明治から現代までの『シチューの歴史』を振り返る」
- ハウス食品「会社の歩み」
- 全国学校給食推進連合会「学校給食の歴史」
- 日本乳業協会「日本人は牛乳をどう受容してきたのか」
- ハウス食品グループ本社「グループのあゆみ」
明治期の記録には断片的なものもあるため、本文では「発祥」と「日本での普及」を分けて記載しています。












